目指せ”おじさま”計画

冴えないおっさん、奮闘中

あんまり気張らずに、ね

昨日は3月11日でした。
幸いにも(本当にこの言葉そのもの、神がかり的な強運も働き)親しい人は皆被害を免れましたが、仕事柄被災地を周ることが多いので素直に喜んでいいのか、毎年考えてしまいます。

その日、身重の奥さんは息子とともに岩手にある私の実家におり(よく聞く嫁姑のバトルにならず良い関係を結んでいる両人に感謝)、私は三陸沿岸の某市に居ました。
更に言うと、朝ドラ『あまちゃん』で有名になった某市に住んでいた私の祖母も、盛岡の病院に通うため私の実家に来ていました。

私の実家は地震の(内陸なので津波も)被害は全く無し。
大事な燃料である灯油も、偶然にも地震の前日にホームタンクに満タンにしていたため潤沢にあったそうです。
普段は電気が必要なファンヒーターを使用しているのですが、なぜか反射式ストーブを捨てずにとっておいたため、長らく停電が続いてもぬくぬくとした生活がおくれたとか。
ガスも鍋料理用のミニプロパンボンベがあり、煮炊きに大活躍したそうです。
うちの親、サバイバル能力ハンパねぇな。

宮城県内陸にある奥さんの実家は、地震により被害を受け、しばらくの間「周りよりマシだが大変な生活」を過ごしたそうです。
私は家に戻れず職場に寝泊まりの日々。
それでも職場に非常食等準備されていましたし、誰かが反射式ストーブを発掘してくれたので、周辺の皆さんよりいい環境で過ごせていたのでしょうね。
祖母の家は意外なことに無事でしたが、話を聞くと、その後の生活はそうとう大変だったようです。
なんでも市が各戸に水とカップラーメンを配ったとか。流通が壊滅的な被害を受けたと思われます。
奥さんの従姉妹は津波により孤立し、Twitterでの呼びかけで救助されたそうです。
その他、宮古市役所職員の友人や、当時大船渡市にいた同僚など(しばらくの間連絡がとれなかったのでダメだと諦めていました)、私の知人は数々の偶然が重なり最悪の事態は免れた様です。
でも、そうではなかった方も大勢いらっしゃるのですよね。

昨日、子供達と震災の話はしていません。
おそらく学校で学ぶでしょうし、学校で学んだ後、質問に答えるのはやぶさかではありません。
でもまだ子供たちは小学生です。
上の子は、震災を体験し、余震が続く恐怖も体験しています。
伝承は大切なのはわかりますし、否定するつもりもありません。
しかし、多くの人が亡くなっています。そこに触れないとウソになります。それをどう子供達に伝えるか。

タイミングは考えないといけないな、伝える言葉にウソがあってはいけないな、と考える父なのでした。

困ったな、真面目に語っちゃたんでオチがないでやんの。